失楽ユータナジー - 7/11

 顔を真赤にして咳を続けること数分。
 また窒息するかと思うほどの苦痛の果てに、やっと呼吸が落ち着いてきた。
 涙と涎で顔がグチャグチャになっていたが、それどころではなかった。
 青年はまだ、明良の首に手を掛けたままだった。

 カーテンから洩れる光に淡く縁取られ、死神が明良を見下ろしていた。
 端正な顔は驚くほど平静で、凶暴性や加虐欲の影は、微塵も見られなかった。
 それが却って背筋を凍らせた。
 青年は、ほんの少し、指先に力を入れた。

「ひうっ」

 明良の喉から変な音が洩れた。
 青年の口角が僅かに上った。
 ぱっと手を離し、それが単なる冗談であったかのように掌を振ってみせた。

「今、このまま誰にも気付かれないまま殺される……って思ったでしょ?」

 微妙に面白がる響きがあったが、声は静かだった。
 それが、ふと表情を引き締めた。

「明良さん、生きてて楽しいですか?」

 ゆっくりと顔を近付け、明良の目を覗き込む。
 本気で尋ねている瞳だった。

「友達も恋人もいない、家族にも見捨てられて……三十過ぎて就職できる宛てもない。外にも出られない。何処にも居場所がないんじゃないですか?」

 見開いた明良の双眸に、あまりに淡然として作り物めいた美貌が映り込む。
 落ち着きはらった声が、無音の世界で反響して響いた。
 その残酷な響き。

「どうせ末は自殺するか、病気になって孤独死です。発見されないまま、何ヶ月も何年も放置されて終わりです。」

 明良の唇がわなないた。
 違う、と反論する言葉は、出なかった。
 透明で綺麗な瞳は、心の奥まで見透かして暴き立ててくる。

 

 それは明良が、忘れていたい現実だった。
 学校に行けなくなってから、近所の幼馴染の顔が見られなくなった。進学組にせよ就職組にせよ、皆順調に普通の人生を歩んでいたからだ。
 昔は三流大学にしか行けない落ちこぼれと馬鹿にしていた兄の方が、ちゃんとした優良企業に就職して、今では妻子もいる。
 父親は金は毎月送ってくれるが、「元気にしてるか」みたいな電話は一度も掛けてきたことはない。三十にもなった息子が無職なのに、田舎に行った時も、殆ど会話しない。
 ネットでの僅かな繋がり以外、明良には人付き合いというものがない。
 その彼らでさえ、明良が急に消えれば、最初は幾らか気にかけてくれるかも知れないが、そのうちに何事もなかったかのように忘れてしまうだろう。

 裸にされて、犯されて。
 侵入者は、唯一聖域だった自分の部屋にも入り込んで、拷問場所に変えて、何も持っていない自分から最後の慰めさえ奪った。
 人としてなけなしの尊厳も奪われて、身体も生命すらもう自分のものでない。
 その上、心まで残酷な真実で解剖されて、一体何が残るだろう。
 何も、何も無い。何も残っていない。

 

 茫然と目を見開き、黙りこくる明良の頬を、青年はいたわるように優しく撫でた。
 薄茶の瞳がきゅうと細まり、破顔する。
 ほんとうに、空恐ろしいほど透明な微笑だった。
 意外に男らしい大きな手は、そのまま首筋を滑り、鎖骨から胸へ、更にその下へと下りる。

「だったら、楽しみましょうよ。どうせ死ぬなら受け入れて、今をめいっぱい楽しんだ方がいいでしょう? 僕がたくさん気持ちよくしてあげますから」

 腿を掴んで引き寄せて。
 パニックを起こした明良が暴れる前と同じように、下肢を開いて押さえ、深く深く捕らえて。

「時間はたっぷりあります」