事故物件 - 1/10

「引っ越し、お疲れさーん」
「お疲れさまー。島崎もありがとなー」

 缶ビールをカツンとあわせて、お疲れ様の乾杯。
 新しい家って何でこんなにワクワクするんだろうな。ここみたいな築二十ン年の古びて狭いアパートでも、だ。
 引っ越しを終えて、少々疲れてはいるけど、充実感がある。
 まだ開けてないダンボール箱もあるが、とりあえず生活必需品は全部出したから、まあ何とかやってけるだろ。

 島崎が片付けを手伝ってくれたお陰で、荷ほどきはだいぶ捗った。
 独り暮らしで大して荷物ないとはいえ、一人じゃ夜までかかったかもな。
 忙しくて残業続きだって言ってたから、疲れてて土日は休みたいだろうに。近くに住んでるからって手伝ってくれるなんて、コイツ、ホントに良い奴だよな。
 大学の友達で、今でも連絡取ってる奴は何人かいるが、親友と呼べるのは島崎だけだ。

 何かお礼しなきゃな、というわけで、近所のスーパーで酒と総菜を買い込み、引越祝いを兼ねて飲むことにした。
 普通は居酒屋なんかに連れてくんだろうが、宅呑みの方が安上がりなんだもん。金無いし。引っ越ししたせいで、懐軽くて。

 島崎が改めて部屋をぐるりと見回して、感嘆した声を上げた。
「しっかし住所聞いた時にも思ったけど、こんな駅近いとこよく借りられたなあ!」
 駅近徒歩5分、2DKである。
「やーここ安かったし」
 へーほーふーん的に流されたが、マジで安かったのだ。ここらの相場の3割安。
 リーマン時代の貯金が底を突きかけている俺には、ありがたい話である。
 退職直後にいきなり骨折して入院したり、急にアパートの取り壊しが決まって立ち退きくらったりと、ここんとこ何かとツイてなかったが、ちょっとは運が向いてきたかも。

「お前それ、『事故物件』てヤツじゃねーの?」
 島崎が顔をしかめた。唐揚げをバリムシャアしながら喋るから、見苦しいことこの上ない。
 確かに好きに食っていいとは言ったが、俺の分を二三個は取っておけ。

「やーそういうのとはちょっと違うんじゃないかな」
 「事故物件」というのは、室内で人が死んだとか幽霊が出るとか、そういう曰く付きの部屋のことだろう。
 俺が不動産屋から聞いた話では、前の住人が借金を返せなくて夜逃げしたということだった。
 こういうケースは告知義務がないので話さない業者もいるそうだが、結構正直に話してくれた。もともと入れ替わりが激しく、人が居着きにくい部屋らしい。
 築年数も古いし、このご時世なかなか人も入らないしで、家賃を下げたと説明された。

「一応契約前に事故物件検索サイトで調べてみたけど、特にこの部屋がどうこうてのは書いてなかったなー」
 内見の時も思ったが、ここ、このアパートの中で一番日当たり悪いんだよな。昼でも薄暗いし。階段のすぐ横だから、上り下りする足音がそれなりに振動として伝わってくる。煩いってほどじゃないが、素敵な環境とは言いがたい。
 水回りはリフォーム済とは言え、それ以外は全体的に古くさいし、元の家賃じゃあ高すぎて、すぐに出て行く人間が多いのも無理はない。

「いいけど、お前も夜逃げすんなよ-」
「金借りてねーし。借りるあてもねーし」
 まあ当分今のとこでバイトしながら再就職先を探すっきゃない。
 その後は、職場での話を愚痴りあったり、定番の大学の時の面白エピソードで大笑いして、大いに盛り上がった。
 11時頃、「明日会社だから」と島崎が言い出してお開きになった。どこへ行くにも自転車移動の島崎が、ちょっとふらつきながらも愛車を引っ張って帰る背中を、アパート前の道路まで出て見送った。
 街灯点いてるし、あいつン家、ここから徒歩15分くらいでそう遠くもないし、ちょっと奥まったところで自動車もあんま通らないから大丈夫だと思うが。飲酒運転して事故るなよー。
 俺も疲れてたんで、さっさと布団敷いて歯を磨いて寝た。
 引っ越した初日はそんな風に終わった。

 

 特別な日は終わって、平穏な日常がやってきた。
 バイト出て、帰って寝て、求人サイト見て、履歴書送って。
 しばらくは何もなかった。
 ―― いや、何もないと「思っていた」。