10日ほど経った頃。
最近朝パンツ汚しすぎじゃね?と思ったのが最初だったか。
目を覚ますと、トランクスだけじゃなく、部屋着兼寝間着のハーフパンツまでびしょ濡れ。それが毎日連続。
色々盛んな中高生の頃でも滅多に夢精しなかった俺としては、ちょっとあり得ない気分。
そんなエッチい夢見たっけ?というくらい、夢見たかどうかも覚えてない。
気持ち悪いし、後始末がメンドくさいし、洗濯物はたまるしで全くロクでもない。
この頃は、始めたばっかのバイトに慣れるのが大変で、疲れて家に帰ったらすぐ寝る生活だったんで、ストレスが溜まってんのかなーくらいの気持ちだった。俗に言う「疲れマラ」ってヤツ? 環境が落ち着けば、そのうち収まるだろと思っていた。
……その時は。
ある日、アパートの玄関で、肩にごついショルダーバッグ、左手には買い物ぶら袋下げたアラフォーの女性とかち合った。
取り敢えず挨拶しながら、そのおねえサンは、俺が郵便受けを開けているのを見て、「あっ」って感じの顔をした。
何でそんな顔?と一瞬思ったが、おねえサンの視線が郵便受けの部屋番号へ動いたので気が付いた。
この人、隣の206号室の人だ。
引っ越し当日に挨拶回りしたけど、一回で覚えられるわきゃない。あれ以来姿を見かけてないし、当然のように忘れてた。
俺は、郵便取る邪魔したらあかんと、慌てて横にどいた。
おば……おねえサンは俺が気になるらしく、手紙を取り出しながら、めっちゃ意識してた。
俺はそんなに不審人物に見えるんだろうか。どうも独り暮らしっぽいし、男を警戒するのも無理ないけど。引っ越し挨拶しに行った時も、何とも言えん、作り笑顔だったし。
こりゃさっさと行くに限ると、チラシの束を手に会釈したところで、
「どうですか、ここ。もう慣れました?」
と向こうから声をかけてきた。
あんまり唐突だったんでビックリした顔をしてしまったと思う。
何? 警戒からの声かけって? まさかの恋愛フラグ?……と思いかけたが速攻で打ち消した。
これ、そんな雰囲気じゃない。めっさ不安そうな顔しとる。
そこは俺も社会人、営業マン時代に習得した営業スマイルで答える。
「おかげさまで。駅、近いですし、便利ですよね」
おねえサンは俺の笑顔を見て、少しホッとしたようだった。だが、何かまだ言いたげにショルダーバッグの肩紐を握った手をくねくねさせている。
「その……変わったこととか、あったりしませんか?」
「変わった? ってどういうことですか?」
俺が聞き返すと、慌てた様子で手をぶんぶん振った。
「あ、いえ、特になければいいんです」
例のぎこちない作り笑顔。何か歯切れが悪い。
そこで俺はピンと来た。ははあ、これは前の住人絡みだなと。
不動産屋の話だと、借金踏み倒して夜逃げしたらしいから、部屋の前で取り立て屋が騒いだりと、ご近所に迷惑をかけるようなこともあったのかも知れない。
俺がそういう話を知らないで入居したのかもと、気遣ってくれてるのか? それともまだ何かトラブルがあるの? 単なる好奇心?
不動産屋からは家賃の件は口止めされてるしなあ。
どう答えたもんかと俺が考えている間に、それじゃあ、とおねえサンはそそくさと上に上がってしまった。
……ううん。何かスッキリしないな。
でもまあ、何もないんだから、問題ないんだろう。
俺は家に帰ることにした。