初秋のうららかな日差しと涼しい風を感じながら、のんびり自転車を漕いで十分ほど。
踏切の遮断機の音がかしましく聞こえ出す頃、駅前商店街のアーチが見えてくる。
その近くに、あのアパートがある。
思い起こせば、この数ヶ月は怒濤のようだった。
発端は、納期に間に合わせるための泊まり込みの最中、深夜に外のコンビニに夜食の買い出しに出た時だったか。弁当の温め待ちの間に携帯を覗いたら、メールが来ていたのに気付いた。
『部屋にヘンなモノが出て寝れないから泊めてくれ』
突然の不穏な文面に、何だか厭な予感がした。
奴は面白い男だが、結構真面目で、冗談でこういうことは言わない。
着替えを取りに帰ると言い張って、無理矢理朝一番に帰宅し、いつ来てもいいように鍵をメールボックスに貼り付けた。
――島崎が親友の死を知ったのは、その二日後だった。
彼は、バイト先で休憩時間中に意識不明に陥り、救急搬送された。
救急隊員が駆けつけた時には、既に心肺停止状態だったそうで、蘇生処置を施すもそのまま意識は回復することなく、搬送先の病院で死亡が確認された。
病歴のない二十代の若者の突然死。詳しい死因は分からない。
島崎はアルバイトする際の身元保証人になっていたので、病院や警察に色々と聞かれる羽目になった。
両親は小学生の時に離婚して、父親に引き取られたが、その父も育ててくれた祖父母も既に他界して、家族はいないというのは、親友から前に聞いていた。
警察が調べたのだろう、最終的に彼の叔母という人が郷里から上京してきて、様々な手続きを全部していった。
遺体は解剖の後、荼毘に付された。葬儀はせずに、郷里の菩提寺でお経だけ上げて貰うということだった。
アパートも、島崎が何やかやで遅れてしまった仕事の後始末に忙殺されている間に、いつの間にか引き払われていた。
解剖しても結局死の原因はハッキリしなかったから、彼がどうして死んだのか分からずじまいだった。
一応病死ということにはなったけれども、不眠が死の遠因になったとするなら、彼はいったいあの部屋で何を見た……見たと思ったのだろう?
あの部屋で何があったのだろう?
分からないと言えば、病院から帰ってポストを見てみたら、二日前に貼り付けたと同じ位置に鍵があった。布団を使った形跡が無く、そもそも誰かが家に入った気配もない。
切羽詰まった様子で「泊めてくれ」と頼みながら、何故彼は家に来なかったのだろう。
ネカフェに避難していると書いてあったが、翌日はどこに泊まったのか。自宅に帰ったのだろうか? 「ヘンなモノが出る」と嫌がっていた自宅に?
疑問符を大量に抱えたまま、島崎はアパートの前で自転車を止めて、見上げた。
アーチに取り付けられたスピーカーから流れる商店街のテーマソングが、風に乗ってかすかに聞こえてくる。この時間でも商店街は人通りが途切れない。
何の変哲も無い、少し古い以外はごく普通の二階建てアパートに見えた。幽霊屋敷につきものの、おどろおどろしい雰囲気もしない。
親友のいた部屋は、窓辺に薄茶色の紙製のカーテンが掛けられていて、中は見えない。きっとまだ誰も入居していないのだろう。それは幸いであるような気がした。
佇んでいたのは、数分ほどだっただろうか。
ふ、とひとつ溜息を吐いて、島崎は地面を蹴って再びペダルを漕ぎ始めた。
借りている公営駐輪場は、駅から少し離れている。今日は午後出社で多少余裕があるが、昼食をどこかで摂るのなら、そんなに悠長にはしていられない。
ゆるゆると商店街の方へと自転車を走らせる途中で、スーツ姿とGジャンの、変わった取り合わせの二人組とすれ違った。
営業マンと思しきスーツの男が、三十過ぎで分厚いファイルとタブレットPCを抱えているのに対し、Gジャンの若い男の方はワンショルダーバッグひとつの軽装で、精々二十かそこらの学生に見える。
何となく気になって振り返えると、二人はさっきまで島崎のいたアパートのある方向へ歩いて行く。
眉をひそめたのは無意識だった。
まさかな、と打ち消し、前を向く。いくらなんでも考えすぎだ。彼らが行こうとしてるのが、あの部屋だなんて。
前方の、杖を突いてのったり歩く老夫婦を避けて、少しスピードを上げた。初秋の爽やかな風が心地好く顔を撫でる。