今、そこにいる君 - 1/3

 「公衆便所」って知ってるかな。
 いや、公園や高速道路のサービスエリアにあるような、公衆トイレのことじゃなくてさ。
 アダルトビデオとかエロ漫画で、「肉便器」とか「精液便所」って用語、使われてるの聞いたことない? 
 お前いくつなんだとか、堅いことは言いっこなしだよ?
 まあ、そういうのってポルノの中の作り事で、普通はない、って感じするよね。
 品行方正に生きてる普通の人間は、そんな差別的な言葉を使うこともないし、実際にそういう場面に出くわすことも、まずない。
 ポルノの中のフィクション。
 でもまあ、僕の学校には「公衆便所」がいる。

 

「宮川? 宮川はまたサボりか」
 教室をぐるりと見回し、数学教師は眉をひそめた。
 そのくせ、仕方のない奴だと欠席をつける顔は平然としてて、嘘くさい。
 僕達生徒が何も答えないのを良い事に、さっさと切り上げたのがいい証拠。
 宮川が何で教室にいないのかなんて、ほんとはとっくのとうに先生たちも気付いてて、知らないふりしてる。
 先生の中にも何人か使ってる奴がいるって噂は、案外本当なんじゃないかな。
 
 それきり宮川のことなんか忘れたように、退屈な数学の授業が始まった。
 先生の声だけが聞こえる静まり返った教室の中で、ぽつんと一つだけ空いた、誰も座ってない机を見ながら、僕は頬杖突いて考えてた。
 この時間は、三年の滝沢先輩たちが遊んでる頃だな、って。

 休み時間の終わり頃に、僕は宮川のところに行ってみることにした。
 あいつがいるのは、東棟の二階、端のトイレ。その一番奥の個室だ。
 東棟は、実験室や美術室といった特別教室が集中してある棟で、普通の教室に比べると人通りは少ない。
 次の時間は選択科目の世界史で、視聴覚室で映画を見ることになってたから、教室移動に紛れて気付かれずにこっそり抜け出せた。
 世界史の後藤先生は映画の時は出欠を取らないと知ってたからなんだけど、もし不意打ちで出欠取られて、サボりがバレても構わなかった。
 普段真面目にやってるし、一回くらいならそんなに酷くは怒られないだろうという計算もある。

 廊下で、ちょうどトイレから出てきた先輩たちに会った。
 軽く会釈してすれ違った。
 先輩は上機嫌で、僕を気に留めた様子もない。そりゃそうか。今じゃ結構な数の生徒がここを使ってるしね。お前もか……てなもんなんだろう。

 
 トイレは薄暗かった。
 外はいい天気で結構暑いのに、ここは意外と涼しい。
 あんまり掃除されてないトイレのツンとくる臭いが鼻に飛び込んでくるけど、それ以上に酷いのが、草を刈った時の青くさい匂いを何十倍にも濃縮したみたいな生っぽい悪臭だ。
 ズバリ言ってしまえば、精液の匂い。オナニーの後に嗅ぎ慣れたアレが、濃厚に漂ってくる。
 こりゃ相当ヤッたな、と思って、奥へ行った。

 一番奥の個室は閉まっていた。
 「使用中」の赤い印が半分だけ見えていて、普通に開けようとしても開かない。知らない人間なら鍵がかかっていると思うだろう。
 けれど、この赤い印が半分だけというのがミソで、ちょっとしたコツで外から開けられるのを僕は知っている。
 修理されないまま、この事実は何年もの間先輩から後輩へと伝えられてきた。僕は一年の時に、委員会の先輩にたまたま教えてもらう機会があって、知っていた。今となっては、かなりの人間に開け方が広まっているはずだ。

 ノブを掴んで、目一杯上に押し上げてから、ずらす。
 覚えていたとおり、少し軋んだ音を立てて扉が開いた。と同時に、例の生っぽい臭いがムワッと鼻を直撃する。
 悪臭の源は、個室の薄闇の中にうずくまっていた。
 いや。それは正確じゃないな。
 開けてすぐに目に入るのは、影に白っぽく浮かび上がる肌の色。
 素っ裸の人間が、両手を頭の後ろで組んで、両足をMの字になるように大きく広げて便座の上にしゃがんでいるんだ。
 そんな恥ずかしい格好だから、雑に毛を剃られた股間に、ギンギンに勃起したチンコが先走りで濡れてテラテラと光っているのがモロ見えだった。

 宮川は、うつむき加減に軽く目を閉じてた。
 女の子みたいに整った顔は、口の周りを中心として、精液まみれだった。前髪や胸にまでべったりこびりついていて、いったいどれだけ飲まされたりぶっかけられたりしたのか、と思うほど。
 それだけでなく、腹にも点々と飛び散った痕があったし、太腿の裏がびしょ濡れで、尻の穴から汁が垂れてるのがハッキリと分かった。
 その上、ご丁寧に誰かが腿の内側に油性ペンで、正の字と穴の場所を指し示す矢印を書き込んでいた。
 絵に描いたような「肉便器」の姿だ。まったく、AVやエロ漫画の見過ぎじゃないかな。

 宮川は、僕が入っても目を開けなかった。
 後ろ手にそっと扉を締めた。
 落ち着いてよく見れば、頭の後ろで手を組んでるのじゃなくて、両手首に手錠が嵌っているのが見て取れると思う。手錠を通したチェーンが、便座後ろの金属パイプに絡めてあるから、のけぞった姿勢のまま腕が動かせないんだ。
 足も、太腿と脛がガムテープでぐるぐる巻きにされてる。
 やってみれば分かると思うけれど、洋式トイレの便座の上に両足を乗っけてずっとしゃがんだままでいるのは結構大変だ。便座に腰を落として、蓋に寄りかかって座るとだいぶ楽にはなるけど。
 宮川は、手足を伸ばすことも許されないまま、この恥ずかしい格好を強いられてるのだった。