御饗(みあえ) - 1/3

 周囲を急峻な山々に囲まれた、谷間の小さな村に物悲しい囃子の音が響く。
 時は晩秋、つるべ落としに日は沈み、足元照らす松明なくば足元すらもおぼつかぬ。
 村人たちは粛々と、闇の中、輿を担いで山道を往く。
 輿に端座する小柄な人影、その身に纏う綾錦が、時折ちらと炎に照り映える。
 松明の列は、笛や太鼓の音を伴い、光の針目となって続いた。
 拝殿の裏、神社の奥の奥から続く道――進んだその先、深遠な水を湛えた淵がある。

 やがて淵に至ると、輿は下ろされた。
 祭服に身を包んだ神主の主導の下、村人たちは水辺に案を設え、携えてきた供物を供える。
 酒に米に餅、柿栗などの果実に川魚の焼き物。
 村の守り神たる「白妙様」にお供えする神饌である。
 雪深い寒冷なこの地で、どうにかこうにか村人全員が餓えずに過ごせるのは、白妙様が豊かな実りを約束して下さっているから。
 特に今年は、七年に一度の本祭。
 例年の陰祭とは異なる、特別の贄を奉る年だ。

 

 神主が淵に棲まう主に向い、祝詞を奏上する間、輿の上で頭垂れるは、美しい黒髪を結い垂らした童子。
 七年に一度のこの日のため、村を代表して白妙様のお側近くお仕えするために育てられた。
 名を「狭霧」と言う。

 とりわけ美しい子供であった狭霧は、前回の本祭の後すぐに選ばれて「童子」になった。
 親から付けられた「三太」と云う名は、召し出されたその日のうちに神主によって改められた。
 爾来、一度も生家に足を踏み入れていない。親兄弟の顔も、祭や何かの用事の際に見かける程度で、次第にぼやけていった。

 白妙様への捧げ物を除いて、童子には衣服も食事も、一等良いものが与えられた。
 同じ年頃の子たちが、真っ黒になって田畑を這いずり回っている頃、狭霧は社殿の奥深くで礼法や歌舞音曲を習っていた。
 神主や世話人の老翁たちは、白妙様が真白き髪に赤い瞳の、この世のものと思われぬほど美しい姿であらせられること、そして村が如何に白妙様のお陰を蒙って生きているかを繰り返し語り、狭霧の心にまだ見ぬ神への憧れを刷り込んでいった。

 そうして晴れがましい祭のこの日、潔斎した身を目もあやな錦で飾り立てて、ここにいる。
 世話人たちは、社殿から送り出す前に、狭霧の唇と目元に紅を差した。
 それが、幼い清楚な美しさにそぐわぬ艶を与えていた。

 

 祝詞が終ると、村人たちは慌しく去っていった。
 松明行列が遠ざかり、後には輿の上の狭霧だけが残された。
 圧し掛かる暗黒の静寂のなかで、四方に置かれた篝火の、揺らめく光と火の粉の弾ける音だけが人界の名残を留めるもの。
 虫の音も鳥の声すら聞こえず、ふと恐れが兆して、狭霧の眉根が曇る。

 ――と。
 ……ちゃぷん。
 微かな水音が耳を打った。

 はっと顔を上げ、狭霧の胸がどきりと鳴る。息を呑む。
 眼前に、純白に銀糸金糸の綾錦を纏った妖麗の姿。
 ほんの瞬きの間に、真白の髪を滝の如く背に流して立っていた。
 見下ろす赤眼がひたと狭霧を捕らえ、まるで蛇に睨まれた蛙、身動きすらもままならなくなった。

「――其の方が此度の贄か」

 水晶の如く澄んだ声音。
 狭霧が言葉の意味を惟るより早く、白い面が息の掛かるほど近くに迫る。
 その不吉なまでの美しさ、瞬く間に魅入られた。
 哀れな童子の頭からは、白妙様に目通り叶った際に告げよと教え込まされた口上も、ささやかな虚栄も全て消し飛んだ。
 ひいやりと冷たい指が、狭霧の顎を捉えて仰のかせる。
 緋色の双眸に矯めつ眇めつ造作を検分されている間、狭霧は心の臓を躍らせ、恍惚と神の美貌を見つめるばかり。

「ほう?近来では出色の出来のようじゃな。早速に味わうとしよう」
 神の、ぬれぬれと紅を引いたように赤い唇が弧を描く。
「そなた、名は何と云う?」