死がふたりを分かつまで - 1/2

 窓から見下ろす庭園は、豊穣な闇に沈んでいる。
 月は無く、星も見えず、広大な森に遮られて市街の明かりも遠い。
 この窓からは、おそらくはまだパーティの後片付けのために煌々と灯りを点しているであろう別棟も見えなかった。

 披露パーティは概ね順調に終わった。
 老人は私を正式な養子として紹介し、有力者の間を連れ歩いて彼らと談笑して、私が自分の後継者であることを印象付けて回った。
 表面上はにこやかに寿ぐ彼らが、裏に回れば、老い先短い老人が若い愛人に誑かされて血迷った、あれは犬遊びの為に買われたペットだなどと噂しているのを知っている。
 言いたい者には言わせておけばいい。
 彼らには、私達の真実は知りようがないのだから。

 私は自分の手で分厚いカーテンを閉めた。
 数百年の歴史を持つこの古いカントリー・ハウスには、リモートコントロールでカーテンの開閉を行ったり、最新式のガラスの反射設定を変えて完全遮光にする等といったようなシステムはない。
 主人は館の古雅な魅力を損なう改修を嫌ったので、電化は最低限に抑えられていた。

「お疲れになったでしょう。もうお休みになられますか」
 私は振り返り、主に声を掛ける。
 老人はちょうど部屋付きの従僕にジャケットを脱がさせているところだった。
「いや、どうも気疲れしてきっと寝付けんよ。少しのんびりしたい」
 老人はカフスを外しながら首を振る。
 その視線の先には、老人の最も愛する存在(もの)がいる。

「カール、来なさい」
 その声に、少し離れたところで主の命を待って、じっと座っていたカールが、機敏に立ち上がった。
 豪奢な手織絨毯の上を、きびきびとした足取りで歩いて行く。
二色の毛皮の下で筋肉がうねる。
 すっと伸びた鼻面、ぴんと立った耳。真摯な瞳は黒く濡れている。
 そうして主の前に来ると、きちんと前足を揃えて待った。
「よしよし、良い子だ」
 老人は、可愛くてならぬ、といった表情で労いの言葉をかけ、彼の首を優しく掻いてやった。
 カールも嬉しそうに目を細める。
 彼も私と一緒にパーティに出たが、来客のあまりの多さに疲れた様子を見せたので、先に帰したのだ。
 私達が帰ってくるまで、彼はこの部屋でひとり大人しく待っていた。

 カールはジャーマン・シェパードと呼ばれる犬種に属する。
 もっとも、彼は一般的な犬からは少し外れる存在だ。
 カールは普通の犬など比較にならないほど賢い。
 時々、そこらの人間よりも余程頭が良いのではないかと思うことがある。
 少なくとも、人間の言葉をかなり理解しているのは間違いない。
 愛するが故の贔屓目ではない、掛け値なしの事実だ。

 老人の後は、私が彼と、不在を埋めるように挨拶を交わす。
 跪いて彼の首を抱き、髭の生えた口元を舐める。
 賢い彼は、人間の不器用な愛情表現に、辛抱強く付き合ってくれた。

 私の首には、カールと揃いのデザインの、細い首輪が嵌っている。
 特別誂えの品だ。
 初対面の人間は、これに気付くと大概そわそわしだす。
 ギョッとしたり、敢えて見ない振りをしたり。剥き出しの好奇心をぶつけてくる者もいる。
 人間心理としては面白い。

 老人の目が、心の底から愛おしそうに私達を見下ろしている。
「あれを見せてくれないか」
 控え目だが、しっかりとした声。
 私は主の欲するものを読み取り、カールを抱いて微笑みながら頷く。

「仕度をしてまいります」