クリスマスイブのその日、広大な温室のガラス張りの天井から見える空は、今にも雨か雪が降り出しそうな寒空だった。
 ボールを転がしては追いかける一人遊びで疲れたノエルは、ドッグベッドの上に寝転がり、どんよりと鈍色の雲に覆われた空を見上げた。
 繊細な金属フレームが支える内部は、身を切る寒さの外の気温が嘘のように温かい。国立植物園の大温室に匹敵する広さの空間には、大小様々な鉢に植えられた草花や樹木が、つややかな緑をしたたらせ、今を盛りと花咲いていた。

 ニュースの天気予報は、今年の聖夜は例年より早い降雪でホワイトクリスマスとなるだろうと告げていたが、イヌであるノエルにテレビもネットも無縁だ。
 どころか、温室から出たことのないイヌは、雪の何たるかも、その冷たさも知らない。
 やがて、暗さを増した濃灰にちらほらと白灰の点々が混じり、陸続と落ちてくるようになっても、ノエルは飽かず空を眺めていた。

 不意に弾かれたように身を起こし、温室の茂みの奥を振り返る。
 帰宅した主人の、自分を呼ぶ声を聞きつけたからだ。
 ノエルは勢い良くドッグベッドを飛び出し、一散に主のもとへ駆け出した。

 すらりと形よく伸びた手足で地面を蹴り、膝をつかない高這いで走る。四つん這いなのに、飛ぶような速さだ。
 引き締まった裸の尻がうねるたび、肛門に挿入されたアナルプラグの柄に付けられた尻尾が揺れた。
 夏の日焼けが抜けた膚は、すべらかで透き通るように白い。無毛の股間も、ぴんと勃って両脚の間で揺れる性器も、全てが剥き出しだった。

 ノエルは、通常の意味での犬ではない。
 いわゆる奴隷犬、ヒトイヌなどと呼ばれる、家畜化された人間、なのだった。

 綺麗に包装された箱を携えた主人は、駆けて来るノエルの姿を見て破顔した。
「ただいま、ノエル」
 今にも飛びかかってきそうな勢いでやってきたノエルは、だが、男の手前で行儀よく足を揃えて座った。
 賢そうな青い瞳は喜びと期待に輝き、舌を突き出し、はっはっと息弾ませて男を見上げている。男の許しがあるまで、勝手に抱きついたりはしないのだった。

「よしよし。良い子で留守番していたようだね」
 男は深い皺の刻まれた目尻を下げ、躾の良く行き届いた、自慢の愛犬の頭を撫でた。
 ゆるくウェーブのかかった銀の髪を、首輪の嵌ったうなじの辺りまで掻いてもらうと、ノエルの目も嬉しそうに細くなった。
 男が歩き出せば、ノエルもその足元をまとわりつくように付き従う。
「明日はお前の誕生日だよ。クリスマスプレゼントと一緒に、誕生日プレゼントも用意してあるからね。夜になったら、一緒に開けよう」
 優しく語りかける主人に、ノエルは邪気の無い極上の笑顔を向けた。

 

 ノエルは、専門の奴隷犬ブリーダーの牧場で生まれたイヌだ。
 両親はともに容姿端麗で、性質も大人しく、幾つもの奴隷犬コンテストで賞を受賞したチャンピオン犬。
 当然ながら、生まれながらの奴隷犬ということになる。

 クリスマスの朝に生まれた仔犬を「ノエル」と名付けたのは、あるじである。
 完璧に理想通りの愛犬を欲した男は、定期的にオークションに出品される血統書付きの仔犬には飽き足らず、完全な受注生産を望んだ。
 大金を払ってブリーダーのカタログの中から父母の血統を選び、交配させ、出生の後にはブリーダーに細かい指示を出してオーダー通りに養育させた。

 シティから数十キロ離れた郊外に建てられたこの邸宅内には、男の他には誰も立ち入れない。
 家事をするのは全て自動機械、男の不在時にノエルの面倒を見るのも、非人間型のナニーロボット。
 男は愛犬が、男以外の他人の存在を認知するのを極力排したのである。
 ノエルは、母犬とともにブリーダーのところにいたほんの僅かな時期を除いて、男以外の人間を見たことがない。
 ノエルにとって、男が世界の全てであった。